このページでは石井輝男監督に縁の深い方たちからの証言で、その姿を探っていきます。

第一回  青野 暉(監督)
夜を造る

  「柳の下に泥鰌は2匹も3匹もいる」と、活動屋は信じている。
そこから、一度当たった作品のシリーズ化が試みられる。このシリーズ作品、監督にとっては、実験が出来るというメリットがある。

  石井監督も新東宝時代には、「スーパーマン」「ラインもの」の二つのシリーズがあった。この二つのシリーズの中で石井監督はいろんな試みを行っている。ラインシリーズの中の「黄線地帯」で「望郷」のカスバを思わせるセットを駆使した試みは見事だった。

  私がセカンド助監督として参加した「セクシー地帯」では、ドキュメントタッチでの撮影が指向された。冒頭、夜の銀座街頭を行く主人公の撮影は「盗み撮り」でやろうと言うことになった。周りの通行人に気づかれず撮影するためには、小型カメラの手持ち撮影が常識だ。だが、報道で使われるアイモは、30秒しか回せない。主人公を1カットで追う撮影には適しない。手持ち撮影最適と評価の高いアリフレックスに頼りたいが、当時、輸入されているアリフレックスは数少なく、またレンタル料が高かった。そのため予算の関係でアリフレックスの使用は不可能となったが、そんなことで石井監督は「盗み撮り」を諦めない。大型カメラのミッチエルの本体を撮影助手の肩に乗せ、黒い布でカメラを覆い、その布をかぶってカメラマンがファインダーを覗きながら歩くと言う撮影となった。写真館で記念撮影をするとき撮影技師が黒い布をかぶる姿を想像して貰いたい。誠に珍妙な格好の撮影だったが、銀座の人たちがそれと気づいた頃には、冒頭部分の撮影は無事終わっていた。

  しかし、その後も銀座での撮影は続く。1シーン取り終えては人通りの少ない裏路地で、次のシーンの打ち合わせを行い、終わるとすぐ盗み撮り風の撮影にかかる。銀座の表町の撮影を終えたのは、午前2時を過ぎている。まだまだアクションシーンが残っている。詳しくは別の項でご紹介するが、石井監督のカットは、状況に応じて驚くほど増える。この時もそうだった。どんどん増えるカットに、どんどん時間は食われる。夜は白々と明け始める。ナイトシーンだから、空が白んでは困る。空が切れる細い路地に逃げ込んでナイトシーンの撮影を続ける。が、その路地も明るくなってきた。闇を求めて川が埋め立てられている三原橋の下へ逃げ込んで撮影を続ける。まだカットは増え続けている。橋の下といえども明るくなってきた。橋の開口部分を覆うためレフ板、黒い布、むしろなどをかき集めて、夜を造り、バスト、アップなどを撮る。終わって、橋の上にでたとき、世間はもうすっかり朝で、早出の勤め人が急ぎ足で出勤していた。

  撮影現場で粘る石井監督の映像にかける執念を、私は学んだ。

   
 
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