石井プロ公式ホームページの立ち上げに際して
映画監督・石井プロダクション代表
山際 永三
 私たちの先輩である故・石井輝男監督が、映画界に残した功績を再度確認しながら、石井監督について自由に語る場として、このホームページがいろいろな役割を果たしていくことを期待しています。

  ともかく石井監督は、キング・オブ・カルト・ムービーとも呼ばれて、ある種過激なものを表現して世の中を「アッ」といわせたことも事実です。東映で助監督をつとめた内藤誠監督は、「娯楽というものは、続けていくと過激になってくるんです」と言っていましたが、これは石井監督を語るにふさわしい、なかなかの名言だと思います。その過激さは、石井監督のどのような体質から生み出されたのか。映画における娯楽性とは、何なのか。

  石井監督は、没後の2006年に、日本アカデミー特別賞をもらいました。その表彰状には、日本アカデミー協会会長の高井英幸氏の名で「あなたは日本映画界の鬼才として、強烈かつ軽快なアクションと鮮烈な映像美の世界を構築してファンを魅了しました」と書かれてあります。これもなかなかの言葉だと思います。

  私や青野暉監督は、石井監督デビュー当時の新東宝で助監督をやったことがあり、いろいろと懐かしい、また不思議で滑稽な石井さんについてのエピソードを思い出します。私たちが石井さんの話をするたびに、「不思議な人だったよな」と繰り返して言ってしまうほどです。そうした話も、おいおいこのホームページでも紹介していこうと思っています。

  でも、私たちに言わせれば、石井さんは非常に「折り目正しい映画人」でもありました。新東宝時代、清水宏監督や成瀬巳喜男監督の助監督チーフをやっていた石井さんが、監督の前で「ハイ! ハイ!」と直立不動で答えていた姿を思い出します。いつも颯爽としたチーフでした。偉ぶることなく、私たちと、 対等に議論してくれました。どこまでも優しい先輩でした。だから、石井さんが監督をやりはじめたころは、喜んで石井組の助監督をやりました。ある朝、 「山チャン、今日は楽だね。午後3時ころには終わっちゃうね」と石井さん。 「そうですか。いいですね」と私。そこで各パートや役者に対しても、夕方には終わる計算で手配を済ます私。ところが、とんでもない、夜遅くなってもまだ終わらない。いろいろな人に「お前はウソつき助監督だ」と言われて、平謝り。しかし、石井さんに文句を言う気になれません。なにしろ、夢中になって現場を指揮して、次々にカットを増やしている石井さんは、まさに映画の鬼なのです。石井さんに騙された私が悪いと、思わざるを得ませんでした。

  こうした映画作りが、今は不可能になっていることはわかります。しかし、映画作りにひたむきだった石井さんの姿は、多くの人に伝えたいと思います。
   
 
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